上田ささや 社長の日記

長野県上田市の結婚式場ささやが発行している月刊『ささやタイムズ』。社長が書く名物コラムをブログで公開いたします。 また、日ごろ考えていることを不定期に掲載いたします。

初めてのアメリカ

 大阪からの出張の帰り、遅い電車のせいなのか、松本を過ぎると、車両には私一人しかおりません。がたがたと左右に揺れる電車の中で一人、ふと、初めて海外旅行をしたときのことを思い出しました。
 私は大学卒業間近の平成2年2月に初めて海外へ出かけました。当時の私にとって海外といえばアメリカしかありませんでした。社会人としてしばらく仕事をしたら、将来はアメリカの大学院へ留学しようと心の中で決めていたからなのです。(結局挫折しましたが)
 私が大学生だったのは、いわゆるバブル経済の末期です。どこもかしこも、世の中全体が浮かれていました。学生の海外旅行は当たり前でした。
 でも、私はミーハー(いまや死語ですね)な気持ちで、観光に行きたかったのではなく、アメリカに行けば何か人生に必要なものがつかめるのではないかと思って、出かけたのです。留学する前に一度アメリカを経験しておこうと思い、アメリカに関するいろいろな書籍を読んで勉強しておりました。友達には一緒に旅行に行こうと何度も誘われましたが、一人でアメリカへ行くことにプライドがありました。
 日本の旅行代理店で、往復の格安航空券と、初日のホテルだけを予約して、成田空港からアメリカン航空(AA)ダラスフォートワース空港(DFW)行きに乗り込みました。私は学生時代、大手航空某社のグラントホストとして、羽田空港でお客様ご案内のアルバイトをしていましたので、航空関係は好きですし、よく分かっていました。AAは日本に就航したばかりで、ボーイング747SPというちょっと変わった機種で、差別化を図るためにエコノミークラスまで全て革張りのシートでした。ディナーの後「お食事の後にコニャックはいかがですか?」などとフライトアテンダントに聞かれて、ビールしか飲んだことのない大学生が、いい気持ちになってしまいました。
 DFWに着いて、入管、税関を難なくパスし、ゲートの外へ出ました。ようやく憧れのアメリカ、何もかもつくりが大きくて、ゆとりがあります。映画で見たままのアメリカに一人ほくそ笑みました。
 さて、予約してあるホテルです。日本の旅行代理店からもらったバウチャーには、ラマダインDFWエアポートと書いてありました。エアポートホテルですので、空港に迎えのシャトルバスが来てくれるはず。拙い英語でホテルへ電話して、自分の待っているゲートナンバーを伝えて、シャトルの到着を待ちました。
 目の前にホテルのシャトルが次々と流れていきます。しかし、ラマダは来ない。一時間待っても来ないのです。おかしいなと思いましたが、初めてのアメリカです。こんなこともあるのだろうと根気よく待ってみます。周りで待っていた旅行客たちは、一人また一人といなくなっていきます。だんだん日も暮れてきます。ワンダーフォーゲル部で鍛えた身とはいえ、少し心細くなりました。もう一度電話をしてみます。すると、確かにシャトルは回っているといいます。仕方ないのでさらに待ちます。でも来ないのです。
 乗り場の警備をしているアフリカ系の大きなアメリカ人が心配して声をかけてくれました。
「きみ、ずっとここで待っているけれど、どうしたんだい?」
「実はラマダインのシャトルを待っているのだけど、来ないのですよ」
「ヘーイ!ラマダだって?そんなホテルはないよ。」
「でもこのバウチャーにはラマダって書いてあるし・・・」
「気の毒だな〜」
「リッアリー?」
 ラマダインがないと聞いて驚いた私は、またまたバウチャーに書いてあるホテルへ電話をしてみました。よくよく聞いてみたところによると、ラマダインは、最近、クオリティインDFWエアポートという名前に変わったということでした。そして、私の持っているバウチャーはクオリティインでも有効に使えるということでした。
 なんだー、クオリティインのシャトルなら、さっきから何回も何回も目の前を通っているじゃないか!!!
 信頼できるはずの日本の旅行代理店はどうなっているんだ!という怒りと、今日泊まるところがあったという安堵感で、どっと疲れが出てきました。当時はジャパンアズナンバーワンの時代、アメリカの景気は落ち込んでおり、日本人には誇りと大きな信頼感があったのです。
 初めてのアメリカ、ものすごく乾燥している冬のテキサスで、何時間も外にいて、なんだか調子がおかしくなってしまいました。(まだまだトラブルは続きますが、また次回〜)

やさしい言葉

 前回のブログでもご紹介しました、Kさんからお借りしたエッセイ集『やさしい言葉』。その最後のエッセイが、書名にもなっている「やさしい言葉」です。とてもいい話ですので、少し長くなりますが引用させていただきます。
 (以下引用)『入院中に、あるエピソードを読みました。ある少年の手記に、こう書かれていたというお話です。少年とは少年院を卒業する人だったのですが、彼は不遇な生い立ちによって、残念ながら「やさしい言葉」に出会うことができなかったと、述べました。そのことで悩み、そして自分を見つめたのです。やがて、すばらしい結論に至ったのでした。それは、「自分から優しい言葉をかけてゆく者になろう。そうすれば、やさしい言葉に出会えるじゃないか」ということでした。
 やさしい言葉とは何か。答えがひとつに決まっているわけではありませんが、要するに、相手が言ってもらいたいと思う言葉を言ってあげることなのでしょう。「大変だったねー」とか、「だいじょうぶかい」とか、なにげなく言ったありふれた言葉なのに、「その一言がうれしい!」と相手が思うとき、それは「やさしい言葉」となるはずです。相手の存在をありのままに認めて、寄り添ってゆく言葉、それなのでしょう。(中略)やさしい言葉というのは、言われた人もそうでしょうが、言った人もうれしいと感じるところが、不思議であります。(中略)身近かなところにやさしい言葉をたくさん満たしてゆくことで、少しは世界の見え方が異なってくるに違いない、と思っています。』(以上引用)
 悲しいとき、困ったとき、苦しいとき、つまらないとき、どうしようもないとき、人は心のなかで、やさしい言葉をかけてほしいと待ち望んでいるのです。自分にやさしくしてくれる人はいないだろうか、共感してくれる人はいないだろうか、私の気持ちを分かってくれる人はいないだろうか、と考えています。私にもそんな状況のときがありました。
 そんなとき、自分から周りの人に対して「私にやさしくしてね」なんてお願いすることはできないのです。周りの世界は自分とは関係なく、すごいスピードでどんどん動いているように見えます。みんな成功していて、とても幸せそうに見えるのです。そう見える世界では、弱っている人は周りにお願いすることなんて、とてもできないのです。
 だからこそ、元気なもの、強いものがやさしい言葉をかけてあげる。それが世の中の窪みを埋めるような気がいたします。人生には山もあれば谷もある。自分にもやがていろいろな波が来るはず。自分だったらどう思うのだろう、と想像しながら、やさしい言葉をかけてあげたいと思います。
 一つだけ注意したいことは、その人を助けてあげたい、その人のお役に立ちたいという気持ち以外の邪念を入れないことです。例えば、何かの失敗により叱られて落ち込んでいる人がいたとしたら、その人にやさしい言葉をかけて、次につながるアドバイスをしてあげることはとてもよいことです。
 ところが、いくらその人が喜ぶからといって、叱った人の悪口を言って慰めたり、誰がやっても失敗だったと責任転嫁したり、友達だからいくら失敗を繰り返してもいいんだよ、と言ったりするのは、大きな間違いであるということです。そういう話をされると、その瞬間はとても安心され、喜ばれるでしょうが、問題をそらしただけですから、本来の問題解決につながっていないのです。またそう言ってしまった人自身も、その瞬間を盛り上げるためにある意味で嘘を言っているわけですから、すっきり出来るはずはありません。そのような傷をなめあっている仲間は、いつまでも続くことはなく、遅からず自滅するグループと言えます。
 本当にその人のことを思って、やさしい言葉をかける。出来るサポートをすぐにしてあげる。それだけでいいのです。

参考文献
『やさしい言葉』草野榮應(沙羅の集:百観音明治寺内)この本は明治寺にて購入出来るようです。

日帰り研修旅行

6時 松本市内某ビジネスホテルにて起床。昨夜は深夜2時までミーティング。このホテルは最上階に天然温泉の露天風呂がついている。束の間の癒しがうれしい。
 出張のときには、朝のジュースがつくれないので、コンビニの紙パックの野菜ジュースで我慢する。家では絶対に欠かすことのない朝晩の祈りも、外へでると忘れがちだなあ。
8時 梓川パーキングエリアにて、上田から出発したバスにピックアップしてもらう。某団体の研修旅行で静岡県へ。バスの中はとても元気な感じ。
11時30分 御殿場の某バイキングレストランにて、昼食。焼きながら提供しているサーロインステーキがおいしかった。肉の焼ける香り、ジュージュー音、それだけでわくわくするなあ。
 日ごろ大変お世話になっているKさんから『やさしい言葉』という書籍を貸して頂いた。ちょうど読み終わったところだったので、旅行でご一緒させていただいたご本人にお礼やら感想やらをお話しする。沼袋にある明治寺の前のご住職が書かれたエッセイ集である。私が最近、観音様の話題を取り上げるので、この本で勉強するようにと貸してくださったのだと思う。
 この本によると、観音様は「観音様、助けて!」という声を聴くと即座に救いにきてくれるので、その場所にいないこともあるんだそうだ。観音経には観音様が遊んでいるというくだりがあるという。遊んでいないと、自分を捨てて、さっと駆けつけることができないから、観音様にとっては遊んでいるのも大切なことだそうな。思えば、観音様は首飾りなどして、他の如来様に比べてきらびやかなお姿。我々を助けてくれるために、暇なときはぶらぶらと遊んでいる観音様が楽しく想像できて、妙に納得できる話だった。そういえばKさんも観音様っぽいかな。
13時30分 長泉町にある米山梅吉記念館の見学と勉強会、その後、すぐ近くにあるお墓に参拝。米山翁は銀行の頭取まで上り詰めたビジネスマンだが、得た財産はほとんど慈善事業に費やし、晩年は破産に近い状況だったという。大正3年に、事業に成功して目途がついたら、後進に道を譲り、報恩社会奉仕の道をさがすべしという『新隠居論』を著している。大正9年に東京ロータリークラブの初代会長となった。米山翁が何をしたかではなく、どのように生きたのか、どういう道をつけたのかに私は感動する。
16時 三嶋大社参拝。三島市へ来たのも初めてだが、三嶋大社という立派な神社があるのも初めて知った。この神社は清廉なよい気で満ち満ちている。その気を体に取り入れよう。厄年に突入して以来、神社仏閣に行くたびに買ってしまうお守り。また増えた。
20時 上田到着、5分ほど歩いて帰宅。玄関には、母からの差し入れがおいてあった。
 『世界一愚かなお金持ち、日本人』を読了。著者の言いたいことはよくわかるが、愚かというよりも日米中のお金に対する考え方の違いだと思う。米を食べる人もいれば、パンを食べる人もいるのだ。とはいえ、別世界の考え方を知っておくのはよいだろう。風呂や洗濯など。
23時 昨日からの疲れも、今までの疲れもたまっている。一人暮らしとなって、はや2年、いまや誰からの制約も受けないので、一日も休まず仕事を続けることが出来る。休みたいとも思わなくなった。情熱をもって仕事をして、お客様や社員や社会のお役に立ちたい。
 が、今日はへとへとでくたくたな感じ。
 バスガイドさんに、家に帰って、家の人に「くたびれた〜」と言ってはいけないと、釘を刺された。確かに、家で待っている人がいるなら、そんなことを言ったら申し訳ないことだ。私の場合は仏壇に向かって感謝の気持ちを語ろう。そして今日はもう寝よう。
(『7つの習慣』には、仕事中心の人は生活の他の要素を犠牲にしてしまいがちで、仕事以外の領域では非効果的になると書いてある。そのとおりだと思う。)

参考文献
『やさしい言葉』草野榮應(沙羅の集:百観音明治寺内)
『世界一愚かなお金持ち、日本人』マダム・ホー(ディスカヴァ-・トゥエンティワン)

『7つの習慣』スティーブン・R・コヴィー(キングベアー出版)

変わることができるのかどうか

 短夜のみぎり、皆様方におかれましてはいかがお過ごしでございましょうか。日ごろは大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
 さて、我が国では労働力人口が年々減少しており、業種によっては労働者の確保が非常に難しくなってきています。そのせいなのかどうか、経営者の友人たちに聞くと、社員のミスに対して対応が甘くなりがちだったり、なすべき決断を躊躇しているという社長も多いようです。親しい友人の中には昔の雷親父よろしく、かんかんになって怒る勇ましい社長もいますが、このタイプの経営者はいまや少数派なのです。
 では、仕事のできない部下に対して、どのように怒ったらいいのでしょうか。英語学習プログラムの営業で世界第二位になった和田裕美さんのご著書『こうして私は世界No.2セールスウーマンになった』には、部下を怒るときの面白い方法が書かれています。曰く、感情で怒ると後を引くから、冷静に怒りを演じる。怒りというのはある意味手段だから、お面のように、とったりつけたりするかのように怒ると便利だというのです。心の中で「今の机のたたき方いいかも」なんて思えるくらい余裕があったほうがいいそうです。
 自分も若い頃は、カーッとなって、感情に流されて怒ってしまったことがありました。そういうときのことは今でもはっきり覚えていて、あの時はまずかったなあと後悔しています。感情で怒ってしまうということは、論理を超越しているわけですから、周りの人は誰も納得してくれません。
 怒ることがいけないというのではないのです。社員を正したいという大義や正義感があるならば、理念と証拠と論理で詰めていく。そして、相手がどんなにヒートアップしても、ひるむことなく、冷静を保つ。言い逃れを決して許さず、最後まで詰めるという決意が必要だと思います。
 では、叱ったり、教育したりしても、仕事が出来なかったり、変わることの出来ない社員がいた場合、どのように考えたらいいのでしょうか。
 稲盛和夫さんの『高収益起業のつくり方』には、次のように書かれています。「仕事が出来ない人については、その人の仕事や会社に対する気持ちがどうなのかということを最初に問います。(中略)会社に対して愛情も尊敬もあまり持っていない。給料のために勤めているだけで、この会社でなくてもいいという人、一生懸命やる気がない人であれば、時期を見て辞めてもらうことを考えるべきだと思います。(中略)一番難しいのは、会社が好きでがんばってくれていても、仕事はあまりできないという人をどう遇するかという問題です。(中略)私は会社が好きで一生懸命働いてくれる人であれば大事にすべきだと考えています。」
 一方、銀座まるかん創業者の斎藤一人さんの『変な人の書いた成功法則』には、こんなことが書かれています。「(前略)注意しても改善しないときには、その人をクビにできるか。これが社長の行程です。(中略)この人は、社長がクビにすることができるようになるまで悪いことを続けます。いくら思いやりをかけても、何をしても絶対に駄目です。というのも、それは人をクビにできるか、できないかの試験だからです。だから、愛情をもって接しても、その人は絶対に改めません。でも、その人もまた、自分がなぜそんなことをしてしまうのかが分からないのです。神様の摂理でそれをやらされているのですから。」
 最近、人から指摘されたことがあります。それは、私が社員から良い社長だと思われたいという気持ちに負けて、厳しい決断を避け、判断を曖昧にしてしまっているのではないかということです。その結果、悪い社員はのさばり、会社全体に悪い影響を及ぼし、お客様にご迷惑をかけることになってしまいます。
 私はお店を営業している家の子供に生まれ、小さい頃から祖父母の苦労話を聞いていました。誰某を助けてあげたのに、その後ひどい仕打ちを受けたとか、始めから損をすることは分かっていたのだけれども、あえて助けてあげたとか、商品を盗む人がいても目をつぶってあげたとか、横領されたのに見逃したとか、子供にとっては辛い話でした。それらの話は、自分がいくら損をしても、人様のためになればいいことなんだよ、という論理で一貫しておりました。この考え方は私や私の弟たちの精神構造のベースになっているのです。
 しかし、そういう滅私奉公が、いま、真の意味で世の中のためになるのかどうか。戦前戦後、高度成長期に正しかったことが、今も正しいといえるのかどうか。
 生前、元気だった頃の祖父母の顔を思い出しました。明治生まれの人です。遊ぶこともなく、地味にささやを守り続けていました。戦争のことや、昔のこと、勉強も教えてもらいました。
 いま、私が社員に対して、変わることが出来るのか?と詰めているがごとく、祖父母も私に対して、変われるのか?と試しているのではないだろうか。祖父母の教えを思い出しながら、そんな気持ちになってまいりました。

参考文献
『こうして私は世界No.2セールスウーマンになった』和田裕美(ダイヤモンド社)

『高収益起業のつくり方』稲盛和夫(日本経済新聞社)

『変な人の書いた成功法則』斎藤一人(総合法令)