上田ささや 社長の日記

長野県上田市の結婚式場ささやが発行している月刊『ささやタイムズ』。社長が書く名物コラムをブログで公開いたします。 また、日ごろ考えていることを不定期に掲載いたします。

もう見ません、JUDO

 9月13日から16日まで第25回世界柔道選手権大会がブラジルのリオデジャネイロで開催されています。この大会では、有力な日本人選手が次々と破れ、日本のお家芸である柔道が崩壊の様相を見せております。私は中学時代、柔道部所属(中二で初段をとり、中三で長野県大会個人重量級の部で準優勝して北信越大会まで出場しました)でしたので、柔道には愛着があります。しかし、いまは正直言って、もう見たくないな、もう見ていられないな、という感じです。
 日本で教えている講道館柔道と、世界で通用するJUDOは全く違うものになってしまいました。今回の世界選手権でも、大内刈りや小内刈りなどできれいに技が決まっているのに、そのあとに相手選手の小さな捨て身の返し、若しくは物理的な流れで、体が返ると、最後に背中がついたほうが負けになります。あるいは、返し技になっていなくても、すっぽ抜けたときにその上にうまく体が入れば、技に見えて有効なポイントになります。講道館柔道の経験のあるものであれば、これらは全くとんでもないことで、納得がいきません。美しくないのです。
 ヨーロッパの選手は出来る限り相手と組まないようにしていますし、返し技やすかし技や隅返しのようないわば相手のおこぼればかりを狙うようなことばかりをしています。どちらかというとレスリングに近いものになりつつあります。
 では、国際基準、国際ルールというものは何でしょうか?かつてノルディックスキー競技で、あまりにも日本勢が強くなったために、ヨーロッパ勢に有利になるようなルールに変えられてしまったことがありました。今回、選挙で落選したため国際柔道連盟の理事に日本人が一人もいなくなりましたので、ますます日本の考えは通らなくなることでしょう。私は、どこ国に有利だとか、どこの国が強いからこらしめるとかいうことではなく、柔道の精神、講道館の精神を具体的に示すのが国際ルールであるべきと思います。
 私が中学生の頃は、返し技などはあまり使うべきものではなく、柔道とは正々堂々と自ら積極的に技を仕掛けていくものであると教え込まれていました。技を出さない選手は強くてもあんまり評価されなかったのです。
 当時、別の中学に体が大きく大外刈りが得意な強い選手がいて、私の伝家の宝刀である内股も彼には効かず、なかなか勝つことが出来ませんでした。ある大会のときに監督の先生が「今日は無理に技をかけていかなくていいから、相手の大外刈りを待って、それを返すことだけ考えてみろ」と言われました。
 その指示を聞いて私は少し後ろめたい気持ちになったのですが、先生に言われたとおり、足技でこまごまと牽制しながら、相手の大外刈りが来るのをいまかいまかと待っておりました。予想通り、彼の無心の大外刈りがきました。私はそれを返すことだけを考えていましたから、思う壺でした。見事に大外返し一本が決まり、彼にすっきりと勝つことが出来たのです。
 先生は「ほらね」とという感じで喜んでくださいましたが、私としては「返し技で勝っているようでは俺もだめだな、自分の技で勝てるようにならなければ。相手に悪かったかな」という気持ちにさいなまれてしまいました。それに彼の中学の部員たちに「米津は返し技で勝ったから・・・」と言われてしまいました。
 私の短い柔道体験の中の一コマですが、このような講道館柔道の精神は、外国人には理解しずらいものだろうと思います。しかし、日本古来の精神や講道館の精神のない柔道というのはどうなのでしょうか。勝ちさえすればいいのでしょうか。それがJUDOなのでしょうか。
 JUDOのスペルには道はありませんが、柔道には道があります。単なるスポーツと違います。道があるからこそ美しく、人は感動します。茶道も華道も剣道も歴史が培ってきた精神があるから人が集まり、大切にするのです。技術や勝負だけでは、面白くもありません。
 ちなみに、国際柔道連盟の規約の第1条には「国際柔道連盟は嘉納治五郎によって創設された肉体と精神の教育体系を柔道と認める」と定められているそうです。にもかかわらず、
 と、ここまで書きましたが、アメリカ人は日本人のベースボールをどう見ているのかな、イギリス人は日本人のサッカーをどう見ているのかな、と考え始めたら、この辺りにしておいてあげようか、と・・・
参考:講道館ホームページ

夢をみる

 朝夕、日ごとに涼しくなってまいりました。皆様ご機嫌いかがでございましょうか。
 日ごろは大変お世話になっております。誠にありがとうございます。また、弊社社員が営業等でお邪魔しました際には、お忙しいところ、温かいご対応をしてくださいまして、心より感謝申し上げます。
 さて、先日、ある会合で某病院の副院長先生を講師にお呼びして「死ぬまで元気で」という演題でお話を伺いました。出席者は40歳代以上の男性経営者がほとんどでした。そのお話の中で、先生が「みなさんは何歳まで生きたいですか?」という質問をされました。60歳から始まってだんだんと年齢を上げていったところ、私も含めてほとんどの方が80歳のところで挙手をしました。私はなんとなく平均寿命くらい生きることが出来ればいいだろうと考えておりました。周りの皆さんも大体私と同じような考えだったようでした。
 80歳まで生きると考えれば、40歳になった私はちょうど半分まで来たわけですから、今まで生きてきた期間と同じだけの時間が残されていることになります。昨年は30歳代でしたので、まだ先がたくさんありそうだと余裕のようなものも感じておりました。しかし、40歳になってからは、残りの方が少ないのだなと思うようになっています。そして、人生の後半をこのペースで走っていたら、自分の夢を何ひとつ実現することが出来ないまま終わりそうだなと少し気持ちが逸って参りました。
 物心がついた頃のことを思い出せば、あり得ないなような壮大な夢を持っていたのです。それが中学生、高校生と大人になっていくうちに、自分のできる範囲内のこと、現実的なことばかりを考えるようになりました。心身は成長し、夢は縮小したのです。そして今では、目の前に次々と起こる問題の解決に追われるばかりの日々になってしまいました。これらはすべて自分の無力に原因があるのです。
 松下電産の創業者である故松下幸之助は日本が誇る立派な経営者ですが、成功の条件の第一に熱意を挙げていたそうです。以下は『成功の法則』より松下幸之助の言葉を抜粋したものです。
「仕事をする、経営をするときに、何が一番大事かと言えば、その仕事をすすめる人、その経営者の、熱意やね。溢れるような情熱、熱意。そういうものをまずその人が持っておるかどうかということや。(後略)」
「世間は誰一人としてきみの成功を邪魔したりせんよ。やれないというのは、外部の事情というよりも、自分自身に原因があるものなんや。外部のせいではない、理由は自分にあるんだということを、常に心しておく必要があるな」
 ところで、私が子供の頃に夢想していたことで、今でもはっきりと覚えていることは、何の機械も使わずに、空を飛べるようになるというものです。今考えると相当ばかげているのですが、自分はやがて何らかの出来事をきっかけとして宇宙からの不思議なパワーを持つようになり、空を飛べるようになるんだと大真面目に考えておりました。
 その方法は簡単です。助走をするかのごとくスキップをするのです。スキップのたびに一段一段と空へ上がっていきます。あっという間に高いビルを見下ろすくらいにまで上昇します。徒手ですが、落ちそうだという不安感はありませんし、体はとても軽やかで安定しているのです。僕を見上げる人に手を振りながら、なんだ空を飛ぶなんて簡単なことじゃんか〜と思います。目が覚めると、とても爽快です。
参考文献:『[新装版]成功の法則 松下幸之助はなぜ成功したのか』(江口克彦)PHP研究所