上田ささや 社長の日記

長野県上田市の結婚式場ささやが発行している月刊『ささやタイムズ』。社長が書く名物コラムをブログで公開いたします。 また、日ごろ考えていることを不定期に掲載いたします。

景気はいいのか悪いのか

 経営者が集まれば、決まって景気がいいとか悪いとかという話になります。しかし、この話題ほど判断が主観的なものはありません。データだけから客観的に判断するならば、現在、日本経済は間違いなく長期的な好景気の中にあり、しかも世界的に好景気であるといえるのです。にもかかわらず、個人のレベルでは、一人ひとりが全く違うことを言います。
 この判断の根拠は何なのか考えてみます。まず、その方の所属する企業もしくは業界が明らかに好景気であるといえる場合、あるいは逆に、明らかに不景気であるといえる場合については、そのままですから、判断ははっきりしています。(とはいえ、日本人は謙虚ですから、景気がよくてもたいていは黙っています)
 好景気ともいえず不景気ともいえない場合は、その方の歩んできた時代背景によって判断は大きく変わります。私は平成2年に社会人となりました。学生時代はいわゆるバブル経済期でしたので、多くの人々が日本経済の将来に大きな夢を見ていました。しかし、入社と時を同じくしてバブルが崩壊し、経済は長期低迷期に入りました。私は翌年はきっとよくなるだろうと信じて仕事をしていましたが、年々悪くなり、あっという間に10年以上が経ってしまいました。私の世代は就職後一貫して景気後退局面の中にいたのです。悪いのが当たり前でしたから、いま景気がいいか悪いかについて、話してもしょうがないし、あんまり話したくないと思っているのです。(ITバブルがあったではないかといわれそうですが、ITバブルは我々の就職よりも5〜6年くらい若い世代から始まったのです。)
 一方、戦前戦後に生まれた方たちのお話を聞くと、だいぶ感覚が違うのです。戦後の何も無いところから、戦後復興、昭和30年代、40年代、バブル景気を体験しておりますから、私が経験した不景気の期間以上に、好景気を長く体験しているのです。そのためかどうか、お話をしていると、経済政策の問題や、景気循環などの問題になります。そして結局、今は不景気であるということで話はまとまるのです。
 これらの違いは、長期低迷期しか知らぬ私の世代の悲観的体験と、成功をたくさん積み重ねてきた先輩世代の楽観的体験との違いにあるのではないかと思うのです。
 私が一つだけ言えるのは、日本が戦後ゼロから世界第二位の経済大国になるまでの繁栄の道のりは、既に終わってしまっているということです。この過程がよき時代であったと言われても、日本ではもう二度と経験できないことなのです。例えば中国ならば、仮に政治的リスクを考慮しても、経済発展の道のりを今後経験していくことが出来そうです。
 先日、東京で開かれた経営者の勉強会に参加したところ、同じグループになった社長の顔にかすかな記憶がありました。しかし、彼が誰なのか、どこで会ったのか、全く思い出すことが出来ませんでした。気になりましたので、休憩のときに、お互いの経歴を話してみました。
 なんと我々は今から17年前、同じ証券会社に新卒で同期入社し、同じ寮に住んでいたことがわかったのです。部署が違ったため、挨拶程度の関係でしたが、少なくとも3年間は同じ寮で同じ釜の飯を食った仲間だったのです。彼はいま偶然にも私と同業で、かなりの成果をあげ、立派な経営者となっていました。
 彼からも私からも景気の話は出ませんでした。相場がどんどん悪くなっていく中で証券不祥事が露呈し、お客様から罵倒され続けた新入社員の頃を思い出しながら、いま中小企業の経営者として、どうしたら生き残っていけるのか、どういうビジネスをしていこうか、そんなことばかりを話しておりました。

ラスベガス

 先月、ある会議に参加するため渡米した折、ラスベガスへ寄りました。空港からホテルへ向かうバスの中でガイドさんが、現在の外気温は摂氏42度で、空気も乾燥しているので、外を歩くなら、せいぜい10分しかもたないでしょうと言うのです。ラスベガスが砂漠の中に造られた都市であることは知っておりましたが、いくら砂漠の夏とはいえ、外を10分しか歩けないなんて、大げさに言っているのだろうと高をくくっておりました。
 しかし、街へ散策に参りましたら、ガイドさんの言葉の意味がようやくわかったのです。道路が広いので隣のホテルへ歩くと最低10分くらいはかかります。日本で慣れ親しんだじわじわした暑さではなく、強烈な日差しと乾燥です。しばらく歩くと鼻の奥やのどが乾いていがらっぽくなってきました。私はのどがあまり強くないということもありますが、10分もするとのどが痛み出し、冬風邪の引き始めのような感じになってしまいました。急いで近くのコーヒーショップに入って、水を飲みました。改めて外を歩いている人を見ると、多くの人が水のペットボトルを持ち、少しずつ水を飲んで熱風や乾燥の被害を防いでいるようでした。
 このような気候ですから、生育できる植物の種類が限られているのですが、あるホテルでは新鮮なチューリップや草木を何千本と使ったみずみずしい庭園がホテルのアトリウム内に作られているのです。そしてスプリンクラーによって、常に水遣りが行われていました。
 街にはいろいろな形のホテルがあって、街そのものがテーマパークのようでした。その豪華なホテル群がさらに新しい棟を建設していました。カジノはイメージが悪いかもしれませんが、ちょっと遊ぶくらいでしたら、健全で楽しいものですし、女性が喜びそうなショッピングモールや誰でも楽しめるショーもあります。また、いろいろな分野のコンベンションが開催されており、仕事に来て遊びも出来る、とても魅力的な都市なのです。
 しかし、違和感をもちましたのは、あまりにも『造りすぎていること』なのです。日本であれば、その土地の特徴を活かして、なじんでいくことを考えます。雪の降るところなら雪を、雨の降るところなら雨を、どう感じ、どう共存するかを考えるのです。雪が降るから長野、雪が降らないから上田であって、長野人は冬の雪に耐え、上田人は冬の乾燥に耐え、それを享受しているのです。アメリカではその場所の特徴を完全に抑えてしまって、人が喜びそうな別の世界を作り上げようとします。真実と虚偽とのぎりぎりの線にいるのです。
 日本人が大好きな某人気テーマパークも同様の発想で、何も無いところへ夢のような空間を作り上げました。そこが楽しい場所であることは間違いありませんが、夢がいつまでも夢であるために、定期的にアトラクションや造作を更新して、我々を鼓舞して、夢の空間を維持し続けています。そこには、風土とか情緒というようなものはありませんから、普遍的にはなりえません。少しでも嘘が見えると崩れますし、お客様も人生経験の少ない若者中心となります。
 対照的に、永続的な喜びはいくつでもあるのです。歴史あるお寺の本堂で座っていると、時間を忘れてしまい、それだけで癒されるような気がします。山や海で自然と一体になったら、ここにずっといてもいいのではないかという気持ちになってしまいます。万葉集を読めば、大昔の人の気持ちにいままだ同感することが出来るのです。長い年月残り続けてきたものには、人間が必要としている要素があるのです。
 ラスベガスには、彼の国が世界各地で自分の流儀によって制圧しようとするメンタリティが少し見え隠れしておりました。
 

マイナス思考をなくす

 暑中お見舞い申し上げます。日ごろは大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
 さて、教師が体罰をしたら、いまや大変な問題になりますが、私が小中学生の頃は、体罰は当たり前のことで、あまり問題になっていませんでした。小学生の頃に、先生に叱られて、顔をつねられたり、耳を引っ張られたりした痛い記憶は今でもまざまざと浮かんでまいります。
 私は教師にたたかれた友人たちをたくさん見ましたが、私の記憶が正しければ、自分が教師からたたかれたことはないように思います。しかし、子供同士の喧嘩ではいろいろな戦いがあったので、殴られたこもあり、その痛い感覚は忘れられません。三十年経った今も痛みの記憶を鮮明に思い出すことが出来るのですから、子供のころの体験というのは、その後の人生に何らかの影響を及ぼすのだろうと思います。
 暴力といえば、言葉こそ恐ろしい武器になりうるのです。私は若い頃、世間知らずで未熟でしたので、あまり相手のことを考えて発言していませんでした。ですから、周りの方にはご迷惑をおかけしてしまったと思います。当時の私としては、誰に何と思われようが自分の正しいと思うことを発言すればよいのだと考えておりました。今思えば非常に浅はかなことで、反省しております。その後、社会でいろいろな経験をしたり、失敗を重ねるうちに、まだまだではございますが、だんだんと矯正されてきました。
 言葉というのは目に見えませんし、触ることも出来ないので、とてもわかりずらいのです。自分にとっては気持ちのよい言葉でも、相手にとっては厳しく辛い言葉となりうるのです。同級会の席で「あの時、君はこう言ったよね?」と確かめると「え〜俺、そんな事、言ったっけ?」と返されることがあります。私にとって最もショックだった言葉を発した本人は、私がショックを受けていたことを夢にも思っていないのです。
 言葉は一度口から出ると、矢のように相手に向かってまっすぐに飛んでいき、決して取り消すことが出来ません。さらには、言葉で犯した過ちを言葉だけで取り返そうと思っても難しいのです。ショックな一言について「すみませんでした」と言われても、忘れ去ることは出来ません。その問題の一言を打ち消すことの出来るような誠実な行動を地道に続けて、時間をかけて過ちを取り戻すしかないのです。
 手紙や電子メールも同様です。書いている本人は正義感をもって正しいことを主張したとしても、名指しされた者や相談を受けた者としては、読むに耐えられないということがあるのです。批判とは相対的なものです。特に電子メールの場合は活字ですから、その人物の人格が出てきませんので、内容ばかりが強調され、誤解されやすく、喧嘩になりやすいのです。2○ャンネルなどのBBS(電子掲示板)を見てみると、揚げ足取りの連続で、ちょっとしたことにおぞましい議論がなされています。こんなことはBBSがなければ有り得なかったことで、インターネットが生んだ人間の新しい悪行といえます。
 いずれにしましても、殴られたら殴り返す、言われたら言い返す、隅の隅まで徹底的に追及するというような、果てしの無い悪い循環にはいることは避けなければなりません。お互いに傷つけあっていれば、周りはそういう仲間ばかりになります。そこから生まれくる辛くていやなマイナスの記憶は、子供の頃の痛みのように、お互いにその後の人生に悪影響を与えることになってしまうのです。
 誰にでも過去の失敗や悪い思い出はあると思いますが、そんなマイナス思考の思い出が浮かんできて不安になったときに、すぐに削除できる方法がありました。『No.1理論』西田文郎著(知的生き方文庫・三笠書房)によりますと、例えば、指を5回鳴らせば、それを合図としてマイナス思考を削除するというように、自分にとってのプラスのボディランゲージを決めておくのです。簡単ですし、すぐ活用できそうですね。この本にはこの他にも参考になる例示がたくさんあり、「できる人間」になるための具体的方法がわかります。ぜひご一読ください。
 暑くなってまいりますので、どうぞご自愛いただき、楽しい夏をお過ごしくださいますよう。
             平成十九年 六月二十七日 米津仁志
No.1理論―「できる自分」「強気の自分」「幸せな自分」