未婚既婚問題
晩婚化の話題はもはや陳腐になってしまっておりますが、不惑になったいま、改めて私の友人たちの現実を確認してみました。
大学のときに所属していた運動部の同期生は6人おりますが、現在、このうち2人は未婚です。また大学のゼミの同期は17人ですが、今でも連絡を取りあっている7人のうち、3人が未婚です。高校の同級生は、仲良し7人のうち、2人が未婚なのです。(中学校、小学校の同級生は、はっきりわからないので省略します。)以上の話は統計的な処理をしておりませんし、あくまで私の周りの男性たちの狭い範囲での参考例です。
彼らは友人として誇れる立派な人物ばかりです。難しい国家試験をパスして資格を持っている人も複数含まれていますし、日本を代表する一流企業に勤めている人や国の中枢でがんばっている人もいるのです。すばらしい能力をもっていて、仕事も趣味も充実しています。みんなまじめですし、性格が暗いとか、女性に対して対応が出来ないとか、そういう性格でもありません。
そして、彼らのうち結婚はしたくないという人はいないのです。それぞれ個別の事情がありますけれども、目標に向かってまっすぐにすすんできた結果がこうなっているのです。結婚しなくても幸せはありますし、結婚がすべてでないとは思いますが、一度結婚して悲しい別れを経験した私としては、友人たちには幸せに結婚してほしいなと素直に願っております。
一人ひとりを思い浮かべて、何でだろう?と考えてみました。あえて八つ当たりをするならば、国のせいにするしかありません。僕らの価値観を育んできた日本の法律、社会、経済、教育といったようなものすべてが、こういう結果を生んでいるのだと思います。
世界の先進国すべてがこの傾向だというのなら、進化した地球人の価値観がこうなっているともいえます。人類進化の結果が、人口減少、しいては種の滅亡に向かうような体制を自ら作っているとしたら、皮肉なことです。恐竜はあれだけ地上を支配したにもかかわらず、環境に適応が出来なくなって滅亡したといいます。もしかしたら人類も進化しすぎて、環境に対応が出来なくなっているのかもしれません。
最近、お取引先の30代と思しき女性お二人と商談する機会がございましたので、この話を少し聞いてみました。お二人とも堅いお仕事をされていますし、遊びもお上手で生活を十分に楽しんでいる方たちです。彼女たちは好きな人ができれば、年齢とか収入などの条件を求めることなく、結婚するといいます。そういう人がいないから結婚していないのだということでした。どういう男性が好きなのかまでお聞きするのははばかられましたが、なかなかマッチングできないものなんですね・・・
さて、話は変わりますが、申込書などで名前などを書き込む欄に(既婚・未婚)のいずれかに丸をつけるべしという項目があります。私としては、この二者択一では所属すべきところが無くて困るのです。現在独身ですから既婚ではありませんし、一度は結婚をしたので未婚でもありません。私と同じように考える方は結構おられると思います。考えられうるすべてのパターンを出してみたら、10くらいの形態になりましたが、結構厳しい分類になってしまいましたので、書くのはやめます。今後は中間にある・に丸をつけるとしますか・・・
大学のときに所属していた運動部の同期生は6人おりますが、現在、このうち2人は未婚です。また大学のゼミの同期は17人ですが、今でも連絡を取りあっている7人のうち、3人が未婚です。高校の同級生は、仲良し7人のうち、2人が未婚なのです。(中学校、小学校の同級生は、はっきりわからないので省略します。)以上の話は統計的な処理をしておりませんし、あくまで私の周りの男性たちの狭い範囲での参考例です。
彼らは友人として誇れる立派な人物ばかりです。難しい国家試験をパスして資格を持っている人も複数含まれていますし、日本を代表する一流企業に勤めている人や国の中枢でがんばっている人もいるのです。すばらしい能力をもっていて、仕事も趣味も充実しています。みんなまじめですし、性格が暗いとか、女性に対して対応が出来ないとか、そういう性格でもありません。
そして、彼らのうち結婚はしたくないという人はいないのです。それぞれ個別の事情がありますけれども、目標に向かってまっすぐにすすんできた結果がこうなっているのです。結婚しなくても幸せはありますし、結婚がすべてでないとは思いますが、一度結婚して悲しい別れを経験した私としては、友人たちには幸せに結婚してほしいなと素直に願っております。
一人ひとりを思い浮かべて、何でだろう?と考えてみました。あえて八つ当たりをするならば、国のせいにするしかありません。僕らの価値観を育んできた日本の法律、社会、経済、教育といったようなものすべてが、こういう結果を生んでいるのだと思います。
世界の先進国すべてがこの傾向だというのなら、進化した地球人の価値観がこうなっているともいえます。人類進化の結果が、人口減少、しいては種の滅亡に向かうような体制を自ら作っているとしたら、皮肉なことです。恐竜はあれだけ地上を支配したにもかかわらず、環境に適応が出来なくなって滅亡したといいます。もしかしたら人類も進化しすぎて、環境に対応が出来なくなっているのかもしれません。
最近、お取引先の30代と思しき女性お二人と商談する機会がございましたので、この話を少し聞いてみました。お二人とも堅いお仕事をされていますし、遊びもお上手で生活を十分に楽しんでいる方たちです。彼女たちは好きな人ができれば、年齢とか収入などの条件を求めることなく、結婚するといいます。そういう人がいないから結婚していないのだということでした。どういう男性が好きなのかまでお聞きするのははばかられましたが、なかなかマッチングできないものなんですね・・・
さて、話は変わりますが、申込書などで名前などを書き込む欄に(既婚・未婚)のいずれかに丸をつけるべしという項目があります。私としては、この二者択一では所属すべきところが無くて困るのです。現在独身ですから既婚ではありませんし、一度は結婚をしたので未婚でもありません。私と同じように考える方は結構おられると思います。考えられうるすべてのパターンを出してみたら、10くらいの形態になりましたが、結構厳しい分類になってしまいましたので、書くのはやめます。今後は中間にある・に丸をつけるとしますか・・・
芸術とは
私の父が長年にわたり絵画を描いているせいで、幼少の頃から、父の知人に会えば「君も絵を描くの?」と必ず聞かれたものでした。私は絵画に興味がありませんでしたので、子供の頃はもっとも面倒な質問の一つでした。どうしていやだったのか考えてみました。私としては、父が絵を描いているからといって、なぜ子供も描かなくてはいけないのか?という心理状態でした。また、この質問をされる方は、きっとこの子も絵を描いているに違いないという偏見をもって聞いてくるために、私が予想を裏切る「描きません」というお答えをすると、決まって落胆していました。そのような姿を繰り返し見た経験が子供の私を「またか〜」というような心境にさせてしまったのだと思います。
今となれば何とも思いませんが、父の知人にお会いすると、いまだによく聞かれる質問です。そして私は正直に「全く描きません。三人兄弟ですけれど誰も描きません。」とお答えしているのです。
ここまではよくあることだったのですが、最近お会いしたお客様は「じゃあ、絵を見ることは出来るのですか?」という第二の質問をされました。この方の意図は、いい絵なのか駄作なのか判断できるセンスがあるのか?ということでした。こういう質問は初めてでしたので、ちょっとうろたえてしまいました。おそらくその方は絵画を見る趣味をお持ちなんだろうと思います。私は普段絵を見ているわけではないのですから、基本的にはそういうセンスはないのです。でも、父が絵を描いているところを昔から見ていましたから、ひょっとしたらちょっとは違うのかな?などと少し思いをめぐらせておりました。
後で冷静に考えてみれば、私は人から洋服を「センスがいいね」などとほめられたこともありませんし、そもそも美術を勉強もしたこともありません。展覧会にもめったにいかないのです。こんな人物が絵などわかるはずがないのです。考えるだけ無駄な話だったのです。
しかし、そのときにもう一つ考えたことは、美術とは相対的なものだから、その人が好きならいい絵なのかもしれないな、ということでした。
(以下に申し上げるお話は素人の戯言と思ってください。)審査のある展覧会では、駄作は落選するという現実があるわけですが、もし、その落選した絵を描いた人物が、自分ではいい絵であると思っていて、その絵を見ることで個人的に満足や幸福感が得られるのであれば、その方にとっては当選であるはずなのです。たまたま展覧会に出品してしまって、人の絵と比べて優劣をつけてもらおうとしたことが間違いだったのです。展覧会の審査も所詮は多数決なのです。
映画の世界でも、あらゆるメディアが賞賛している映画にもかかわらず、酷評する人もいます。(例えば『ぴあ』2007年6月7日号では、映画『フラガール』について、北野武監督はいい評価をしていません。)また、生前は泣かず飛ばずだったのに、亡くなってから評価が高まったという画家の話もよく聞きます。いずれにしても芸術は相対的なものであるということになりませんか。
そして、唯一、時間というフィルターを通しても、いつまでも残り、評価され続ける作品があれば、それが名作であるといえるのではないでしょうか。絵画でも小説でも歌舞伎でも音楽でも俳句でも、何でもそうです。
私は、例えば、印象派の有名な画家の展覧会を見ることと、今もっとも注目されている現代美術の若手アーティストの展覧会を見ることは、全く別の次元での鑑賞が必要であると思うのです。前者はよい作品であることを時間が証明しているのですから、その作品が理解できるならその感動に浸ればいいですし、わからなければ何がいいのかを必死になって探し、感じ取りたいと思います。後者は好きか嫌いか、信ずるか否かということですから、自分が感動できそうなところ、好きになれそうなところを気楽に探せばいいのです。
『ハチミツとクローバー』(DVD 発売:アスミック/集英社)は同名の大ヒットした漫画を元にした実写版の映画です。美大生たちの青春を描いた恋愛群像劇です。その中で、二人の美大生が次のように会話をしています。
森田忍「子供の頃から考えることがあるんだけどさー、何で人は絵をかくんだろうなーって」
花本はぐみ「描きたいから。描かずにはいられないから。それって人は何で生きるんだろうって質問とおんなじ。」
考えてみると、あらゆる人間は人生を通して何かの表現をしたいのだと思います。そして、絵に限らずどんなことでも(家事でも運転でもお花でもゴルフでも)、はぐみのこのような発言が出来るようになったなら、その分野についてのアーティストであるということではないでしょうか。すべてにつながる真理だと思うのですが、皆様はいかが感じられますか。
ハチミツとクローバー スペシャル・エディション (初回限定生産)
米津福祐HP http://www.uedasasaya.com/culture2.html
今となれば何とも思いませんが、父の知人にお会いすると、いまだによく聞かれる質問です。そして私は正直に「全く描きません。三人兄弟ですけれど誰も描きません。」とお答えしているのです。
ここまではよくあることだったのですが、最近お会いしたお客様は「じゃあ、絵を見ることは出来るのですか?」という第二の質問をされました。この方の意図は、いい絵なのか駄作なのか判断できるセンスがあるのか?ということでした。こういう質問は初めてでしたので、ちょっとうろたえてしまいました。おそらくその方は絵画を見る趣味をお持ちなんだろうと思います。私は普段絵を見ているわけではないのですから、基本的にはそういうセンスはないのです。でも、父が絵を描いているところを昔から見ていましたから、ひょっとしたらちょっとは違うのかな?などと少し思いをめぐらせておりました。
後で冷静に考えてみれば、私は人から洋服を「センスがいいね」などとほめられたこともありませんし、そもそも美術を勉強もしたこともありません。展覧会にもめったにいかないのです。こんな人物が絵などわかるはずがないのです。考えるだけ無駄な話だったのです。
しかし、そのときにもう一つ考えたことは、美術とは相対的なものだから、その人が好きならいい絵なのかもしれないな、ということでした。
(以下に申し上げるお話は素人の戯言と思ってください。)審査のある展覧会では、駄作は落選するという現実があるわけですが、もし、その落選した絵を描いた人物が、自分ではいい絵であると思っていて、その絵を見ることで個人的に満足や幸福感が得られるのであれば、その方にとっては当選であるはずなのです。たまたま展覧会に出品してしまって、人の絵と比べて優劣をつけてもらおうとしたことが間違いだったのです。展覧会の審査も所詮は多数決なのです。
映画の世界でも、あらゆるメディアが賞賛している映画にもかかわらず、酷評する人もいます。(例えば『ぴあ』2007年6月7日号では、映画『フラガール』について、北野武監督はいい評価をしていません。)また、生前は泣かず飛ばずだったのに、亡くなってから評価が高まったという画家の話もよく聞きます。いずれにしても芸術は相対的なものであるということになりませんか。
そして、唯一、時間というフィルターを通しても、いつまでも残り、評価され続ける作品があれば、それが名作であるといえるのではないでしょうか。絵画でも小説でも歌舞伎でも音楽でも俳句でも、何でもそうです。
私は、例えば、印象派の有名な画家の展覧会を見ることと、今もっとも注目されている現代美術の若手アーティストの展覧会を見ることは、全く別の次元での鑑賞が必要であると思うのです。前者はよい作品であることを時間が証明しているのですから、その作品が理解できるならその感動に浸ればいいですし、わからなければ何がいいのかを必死になって探し、感じ取りたいと思います。後者は好きか嫌いか、信ずるか否かということですから、自分が感動できそうなところ、好きになれそうなところを気楽に探せばいいのです。
『ハチミツとクローバー』(DVD 発売:アスミック/集英社)は同名の大ヒットした漫画を元にした実写版の映画です。美大生たちの青春を描いた恋愛群像劇です。その中で、二人の美大生が次のように会話をしています。
森田忍「子供の頃から考えることがあるんだけどさー、何で人は絵をかくんだろうなーって」
花本はぐみ「描きたいから。描かずにはいられないから。それって人は何で生きるんだろうって質問とおんなじ。」
考えてみると、あらゆる人間は人生を通して何かの表現をしたいのだと思います。そして、絵に限らずどんなことでも(家事でも運転でもお花でもゴルフでも)、はぐみのこのような発言が出来るようになったなら、その分野についてのアーティストであるということではないでしょうか。すべてにつながる真理だと思うのですが、皆様はいかが感じられますか。
ハチミツとクローバー スペシャル・エディション (初回限定生産)
米津福祐HP http://www.uedasasaya.com/culture2.html
入っていい店なのかどうか
先日、あるお取引先様との商談中に、ト○タのレク○スの話になりました。その方のご主人は自動車がお好きなので、東京にあるレク○スのショールームに遊びに行ったのだそうです。レク○スは最高級車ですから、見た目にもかっこいいですし、内部的にもすばらしい車と聞いておりますが、価格は外国車並みに高いのです。そして、その方のお話にによると、本当に買う力のある方にしか接客をしないのだそうです。ご主人が見に行っても、接客どころか、見向きもされなかったのだと言って、憤慨されていました。(この方はご自分のことを少々謙遜されているのかもしれません。)
この話を聞いてからしばらくして、出張中に東京ミッドタウン(六本木防衛庁跡地のの再開発地区)に寄りましたら、地下一階のアトリウムにレク○スが3台展示されておりました。これが例のレク○スか・・・と思い、私はどんな扱いをされるのだろうと緊張しながら近づいていきました。モールでの展示だったため、物見の家族連れが多く、子供たちが車に出入りして大はしゃぎしていました。営業係の方たちも子供たちをもてあましていました。私のレク○ス体験は子供の座る運転席をのぞきこんだだけで、声を掛けられることもなく、あっけなく終わってしまいました。
少しきわどい話になってしまいますが、アメリカでは、入り口でここは私が入ってもいい店なのかなと考えてしまうことがあります。高級店はもちろんですが、逆にかなり安い店の場合や場所による場合もあるのです。
数年前にニューヨークへ行ったとき、夜のマンハッタンのアッパーウェストサイドを歩いていましたら、何か飲みたくなって、たまたまそこにあったマク○ナルドに入りました。マク○ナルドなら世界中どこでも安全だと思っていました。しかし、入ってみたらちょっと雰囲気が違うのです。食べ終わってどのくらい経っているのか、ただ時間をつぶしているような人たちがだら〜と席を占領していて、私が入ると一斉にじろっとこちらを見たのです。私は一瞬にしてここは常連さんたちのマックなんだなとわかって、ドリンクだけ買うと、そそくさと出てきてしまいました。
また、ショッピングモールなら、どこでも同じだろうと思って、マイアミで地元の人たちが行くという下町のモールに行ってみたことがあります。すると、昼間だというのに、やることがなさそうな若者たちが、グループとなってうろうろしていたのです。そのとき同行していた者が「私たちをじろじろ見る人がいて怖いから出ましょう」と言ったので、すぐに出てきてしまいました。
アメリカはそもそも社会に格差のある国ですから、自分が行くべきところは大体決まってしまっているように思います。それに対して、日本は、誰がどこへ行こうとも、扱いは平等ですから、余計な心配は要りませんし、面倒なことを考えなくてよかったのです。とても平和で、楽なの「でした」。
「でした」と申しましたのは、今後は、レク○スに限らず、対象の客層をしぼるマーケティングというのが増えていくのだろうと思うからです。
ミッドタウンもいまは話題性が先行して、見物のお客様が多いですが、しばらくしたら落ち着いていくことでしょう。そうなると、ミッドタウンのショップにあう客層の人々だけが残ることになります。ミッドタウンは、場所柄当然のことなのですが、かなり高級なものを扱っているお店が多いです。洋服なども私が買えるような安いショップはなさそうでした。(私はドアマンのいるお店には入りずらいです。つまり、私のようなお客を避けるという先方の作戦が成功しているのですが。)食事も安いところもありますが、ランチで一万円以上のメニューを提示しているレストランもありました。こういった営業はお客様を選別することになります。日本でも、京都のお茶屋さんや、銀座の高級クラブなどでは当たり前のことです。しかし、一般の小売店でも、超高級店が出てくれば、自然とそういうことになるのです。
長野県ではまだまだこのようなことは起こりえませんでしょうが、東京では対象客をしぼった店がどんどん増えて、それぞれの階層のニーズを満たしていくことでしょう。
さて、『流行る店』吉野信吾著(日経BP)は飲食店経営の書籍としては珍しく、非常に面白い本です。飲食店経営をされていない方でも興味深く読めますので、お薦め致します。私が上記でお話しましたことなどもわかりやすくご理解いただけると思います。
『流行る店』吉野信吾著(日経BP社)
この話を聞いてからしばらくして、出張中に東京ミッドタウン(六本木防衛庁跡地のの再開発地区)に寄りましたら、地下一階のアトリウムにレク○スが3台展示されておりました。これが例のレク○スか・・・と思い、私はどんな扱いをされるのだろうと緊張しながら近づいていきました。モールでの展示だったため、物見の家族連れが多く、子供たちが車に出入りして大はしゃぎしていました。営業係の方たちも子供たちをもてあましていました。私のレク○ス体験は子供の座る運転席をのぞきこんだだけで、声を掛けられることもなく、あっけなく終わってしまいました。
少しきわどい話になってしまいますが、アメリカでは、入り口でここは私が入ってもいい店なのかなと考えてしまうことがあります。高級店はもちろんですが、逆にかなり安い店の場合や場所による場合もあるのです。
数年前にニューヨークへ行ったとき、夜のマンハッタンのアッパーウェストサイドを歩いていましたら、何か飲みたくなって、たまたまそこにあったマク○ナルドに入りました。マク○ナルドなら世界中どこでも安全だと思っていました。しかし、入ってみたらちょっと雰囲気が違うのです。食べ終わってどのくらい経っているのか、ただ時間をつぶしているような人たちがだら〜と席を占領していて、私が入ると一斉にじろっとこちらを見たのです。私は一瞬にしてここは常連さんたちのマックなんだなとわかって、ドリンクだけ買うと、そそくさと出てきてしまいました。
また、ショッピングモールなら、どこでも同じだろうと思って、マイアミで地元の人たちが行くという下町のモールに行ってみたことがあります。すると、昼間だというのに、やることがなさそうな若者たちが、グループとなってうろうろしていたのです。そのとき同行していた者が「私たちをじろじろ見る人がいて怖いから出ましょう」と言ったので、すぐに出てきてしまいました。
アメリカはそもそも社会に格差のある国ですから、自分が行くべきところは大体決まってしまっているように思います。それに対して、日本は、誰がどこへ行こうとも、扱いは平等ですから、余計な心配は要りませんし、面倒なことを考えなくてよかったのです。とても平和で、楽なの「でした」。
「でした」と申しましたのは、今後は、レク○スに限らず、対象の客層をしぼるマーケティングというのが増えていくのだろうと思うからです。
ミッドタウンもいまは話題性が先行して、見物のお客様が多いですが、しばらくしたら落ち着いていくことでしょう。そうなると、ミッドタウンのショップにあう客層の人々だけが残ることになります。ミッドタウンは、場所柄当然のことなのですが、かなり高級なものを扱っているお店が多いです。洋服なども私が買えるような安いショップはなさそうでした。(私はドアマンのいるお店には入りずらいです。つまり、私のようなお客を避けるという先方の作戦が成功しているのですが。)食事も安いところもありますが、ランチで一万円以上のメニューを提示しているレストランもありました。こういった営業はお客様を選別することになります。日本でも、京都のお茶屋さんや、銀座の高級クラブなどでは当たり前のことです。しかし、一般の小売店でも、超高級店が出てくれば、自然とそういうことになるのです。
長野県ではまだまだこのようなことは起こりえませんでしょうが、東京では対象客をしぼった店がどんどん増えて、それぞれの階層のニーズを満たしていくことでしょう。
さて、『流行る店』吉野信吾著(日経BP)は飲食店経営の書籍としては珍しく、非常に面白い本です。飲食店経営をされていない方でも興味深く読めますので、お薦め致します。私が上記でお話しましたことなどもわかりやすくご理解いただけると思います。
『流行る店』吉野信吾著(日経BP社)
笑顔の力
麦秋のみぎり、皆様いかがお過ごしでございましょうか。平素よりのご厚情に深く感謝しております。誠にありがとうございます。
さて、先日出張の折、都内某所を歩いておりましたら、商店街のお祭りが行われており、そのアトラクションとしてプロのダンサーがまさにフラダンスを踊らんとするところでした。男一人で見るのはやや気恥ずかしかったのですが、思わず足を止めてしまいました。ささやのお客様にも、フラダンスのグループがおられ、当社のイベントで素敵な踊りを披露していただいたことがございましたので。
私はフラダンスについては何も知らないので、素人の感想として申し上げますが、街角で見たフラダンスは、まるで天空からのパワーを地上に引き寄せているかのように見えました。人間でも気でも、よいものを何でもウェルカムに受け入れようとするようなダンスでした。ビルの谷間のよどんだ空気が一掃されて、さわやかなよい気がその空間を満たしました。
そんなダンスを補強していたのが、ダンサーの笑顔でした。彼女たちのゆるぎない笑顔は、自分たち自身が幸せな気持ちであるということ、そして楽しく踊っているということを示しているものでした。ダンサーの笑顔を見ることで、観客も自然と笑顔になり、いい雰囲気になりました。ダンサーと観客と街とが一体化したのです。
初夏の街角でフラダンスを鑑賞しながら回想しましたのは、第30回日本アカデミー賞最優秀作品賞を獲得しました映画『フラガール』の蒼井優さんの笑顔でした。この映画は常磐ハワイアンセンター(現在はスパリゾートハワイアンズ)の設立の苦難を描いたものですが、笑いあり、悲しみありの絶対楽しめる映画ですので、まだ見ていない方はぜひご覧になってください。この映画の中で女優の蒼井優さんが演ずるダンサーの谷川紀美子は、フィナーレで「笑顔は力なり」と言えるようなすばらしい表情を見せてくれます。あんまりしゃべってしまうとネタバレになってしまいますので控えますが、この笑顔があるからすべてが救われる、この映画はこの笑顔に向かって収束したんだな、と思える表情です。彼女の表情には嘘が感じられないのです。
女優だから演技が出来て当たり前とお思いになるかもしれませんが、蒼井優さんのインタビュー記事を読みますと、彼女は無理に顔を作っているわけではないようなのです。以下、蒼井さんのインタビューからの引用です。
「表情は内面がすべてだと思います。演じる上では考えて顔を作ったりしない。気持ちで全部動いているから。(中略)心の内側で怒っていれば、顔でどんなに笑っていても泣いていても伝わる気がする。だから予想していたお芝居とはぜんぜん違う顔が自分の中から出てくることも多くて、それは本当にびっくりします。(後略)」『パピルス』より抜粋)
女優でさえこんなことを言っているのです。蒼井さんは表現力豊かなすばらしい演技をしますから、女優の中でも特別かもしれませんけれども、人は顔で嘘をつくことが出来ないのだろうと思います。心と行動に二面性がないかどうか。心と違った行動をすると、すぐわかってしまうのですね。顔つきが悪いとか、怪しい顔とかいう表現がありますけれども、それはこのあたりと関係しているのかもしれません。なんといっても内面が大切ということ。幸せも格好良さも威厳も、みんな内面から出てくるということではないでしょうか。力のある笑顔を出すためには心のなかでの笑顔が必要ということになります。結局、人格を高めていくということに落ち着いてしまいそうです・・・
ところで、ここから先は、上記の話と全く矛盾することを申し上げます。ここで終わってしまうと、内面をよくするという長期的な解決になってしまい、もやもやされる方もおられると思うからです。
すぐ出来て、人から好かれる笑顔の方法がありました。『チャンスがやってくる15の習慣』には、人間関係を良好にするために簡単にできる方法がたくさん書かれています。人は相手の態度を見てそれと同じように行動するそうです。だから、挨拶よりもまず先に笑顔だということです。その方法とは、人に会ったら小さな声で「チーズ!」と言うことなのです。おもしろいアイデアですね!この本は当社でも研修に使っております。参考になりますのでぜひご一読ください。
では、幸せで楽しい夏をお迎えくださいますよう、チーズ!
平成十九年五月二十八日 米津仁志
参考:
フラガールスタンダード・エディション
papyrus (パピルス) 2007年 06月号 [雑誌]
チャンスがやってくる15の習慣―Skill With People
さて、先日出張の折、都内某所を歩いておりましたら、商店街のお祭りが行われており、そのアトラクションとしてプロのダンサーがまさにフラダンスを踊らんとするところでした。男一人で見るのはやや気恥ずかしかったのですが、思わず足を止めてしまいました。ささやのお客様にも、フラダンスのグループがおられ、当社のイベントで素敵な踊りを披露していただいたことがございましたので。
私はフラダンスについては何も知らないので、素人の感想として申し上げますが、街角で見たフラダンスは、まるで天空からのパワーを地上に引き寄せているかのように見えました。人間でも気でも、よいものを何でもウェルカムに受け入れようとするようなダンスでした。ビルの谷間のよどんだ空気が一掃されて、さわやかなよい気がその空間を満たしました。
そんなダンスを補強していたのが、ダンサーの笑顔でした。彼女たちのゆるぎない笑顔は、自分たち自身が幸せな気持ちであるということ、そして楽しく踊っているということを示しているものでした。ダンサーの笑顔を見ることで、観客も自然と笑顔になり、いい雰囲気になりました。ダンサーと観客と街とが一体化したのです。
初夏の街角でフラダンスを鑑賞しながら回想しましたのは、第30回日本アカデミー賞最優秀作品賞を獲得しました映画『フラガール』の蒼井優さんの笑顔でした。この映画は常磐ハワイアンセンター(現在はスパリゾートハワイアンズ)の設立の苦難を描いたものですが、笑いあり、悲しみありの絶対楽しめる映画ですので、まだ見ていない方はぜひご覧になってください。この映画の中で女優の蒼井優さんが演ずるダンサーの谷川紀美子は、フィナーレで「笑顔は力なり」と言えるようなすばらしい表情を見せてくれます。あんまりしゃべってしまうとネタバレになってしまいますので控えますが、この笑顔があるからすべてが救われる、この映画はこの笑顔に向かって収束したんだな、と思える表情です。彼女の表情には嘘が感じられないのです。
女優だから演技が出来て当たり前とお思いになるかもしれませんが、蒼井優さんのインタビュー記事を読みますと、彼女は無理に顔を作っているわけではないようなのです。以下、蒼井さんのインタビューからの引用です。
「表情は内面がすべてだと思います。演じる上では考えて顔を作ったりしない。気持ちで全部動いているから。(中略)心の内側で怒っていれば、顔でどんなに笑っていても泣いていても伝わる気がする。だから予想していたお芝居とはぜんぜん違う顔が自分の中から出てくることも多くて、それは本当にびっくりします。(後略)」『パピルス』より抜粋)
女優でさえこんなことを言っているのです。蒼井さんは表現力豊かなすばらしい演技をしますから、女優の中でも特別かもしれませんけれども、人は顔で嘘をつくことが出来ないのだろうと思います。心と行動に二面性がないかどうか。心と違った行動をすると、すぐわかってしまうのですね。顔つきが悪いとか、怪しい顔とかいう表現がありますけれども、それはこのあたりと関係しているのかもしれません。なんといっても内面が大切ということ。幸せも格好良さも威厳も、みんな内面から出てくるということではないでしょうか。力のある笑顔を出すためには心のなかでの笑顔が必要ということになります。結局、人格を高めていくということに落ち着いてしまいそうです・・・
ところで、ここから先は、上記の話と全く矛盾することを申し上げます。ここで終わってしまうと、内面をよくするという長期的な解決になってしまい、もやもやされる方もおられると思うからです。
すぐ出来て、人から好かれる笑顔の方法がありました。『チャンスがやってくる15の習慣』には、人間関係を良好にするために簡単にできる方法がたくさん書かれています。人は相手の態度を見てそれと同じように行動するそうです。だから、挨拶よりもまず先に笑顔だということです。その方法とは、人に会ったら小さな声で「チーズ!」と言うことなのです。おもしろいアイデアですね!この本は当社でも研修に使っております。参考になりますのでぜひご一読ください。
では、幸せで楽しい夏をお迎えくださいますよう、チーズ!
平成十九年五月二十八日 米津仁志
参考:
フラガールスタンダード・エディション
papyrus (パピルス) 2007年 06月号 [雑誌]
チャンスがやってくる15の習慣―Skill With People







