妻の死
一雨ごとに木々の緑が深くなってまいります。皆様いかがお過ごしでございましょうか。日ごろは大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
五月五日に弊社取締役、私の妻の故米津はるみが亡くなりました。七日の社葬に際しまして、多くの皆様方にご参列賜り、誠にありがとうございました。皆様方の温かいお心に厚く御礼申し上げます。
妻が三十二歳で難治の病と分かると、あまりにも早い人生の成り行きに、私はしばし呆然としてしまいました。そして、それまでの「何もない」幸せに気づいたものでした。その後約2年間、考えてはいけないと思いながらも、いつこの日が来てしまうのだろうと、常に心に不安を抱えておりました。
本人は、当然のことですが、どうしたら病気が治るのだろう、どうしたら長生きが出来るのだろうということを考えて、明るく前向きに生きていました。私もそれは最優先に考えるべきことだと思いました。しかし、それと同じくらいに、残された時間をどうやってすごせばいいのか、どうやって生きるべきなのかが気になっていました。
そして、それらの不安を解決しようと、がんの闘病記や、死に関する書籍、宗教書などを読みあさり、友人や先輩方など同じような病気にかかった方に経験を教えて頂いて、一生懸命勉強してまいりました。
そうこう模索しているうちに、一つのはっきりとした答えが出たわけではないのですが、乱れていた心がだんだんと少しずつ落ち着いてきて、安らかになり、薄明かりが見えてきました。悟るというような段階まで到達したわけではありませんが、現実をよく見つめて、幸せな気持ちで送ってあげようという気持ちになっていました。
がんというのは人を苦しめる恐ろしい病気ですが、考えてみると、悪いものを全てがんが受け止めてくれて、余命という余裕を与えてくれているとも考えられます。がんがなかったら人生の進み方がもっと早かったかもしれないのです。そういう意味ではがんに感謝をしておりますし、余命を宣告され夫婦で過ごした期間は、自分たちを成長させる時間であったといえます。
どうしてそんなに若くして?といわれることもありましたが、どうしてかは分かりません。人生の一部だったとしかいいようがありません。私としては、原因追究よりも、いまの気持ちや感謝の念をしっかりと心に刻んでおきたいと思います。
自分が至らないことばかりで、誠にお恥ずかしい話でございました。皆様のご健康を心よりお祈り申し上げます。
平成十八年五月三十日 米津仁志
五月五日に弊社取締役、私の妻の故米津はるみが亡くなりました。七日の社葬に際しまして、多くの皆様方にご参列賜り、誠にありがとうございました。皆様方の温かいお心に厚く御礼申し上げます。
妻が三十二歳で難治の病と分かると、あまりにも早い人生の成り行きに、私はしばし呆然としてしまいました。そして、それまでの「何もない」幸せに気づいたものでした。その後約2年間、考えてはいけないと思いながらも、いつこの日が来てしまうのだろうと、常に心に不安を抱えておりました。
本人は、当然のことですが、どうしたら病気が治るのだろう、どうしたら長生きが出来るのだろうということを考えて、明るく前向きに生きていました。私もそれは最優先に考えるべきことだと思いました。しかし、それと同じくらいに、残された時間をどうやってすごせばいいのか、どうやって生きるべきなのかが気になっていました。
そして、それらの不安を解決しようと、がんの闘病記や、死に関する書籍、宗教書などを読みあさり、友人や先輩方など同じような病気にかかった方に経験を教えて頂いて、一生懸命勉強してまいりました。
そうこう模索しているうちに、一つのはっきりとした答えが出たわけではないのですが、乱れていた心がだんだんと少しずつ落ち着いてきて、安らかになり、薄明かりが見えてきました。悟るというような段階まで到達したわけではありませんが、現実をよく見つめて、幸せな気持ちで送ってあげようという気持ちになっていました。
がんというのは人を苦しめる恐ろしい病気ですが、考えてみると、悪いものを全てがんが受け止めてくれて、余命という余裕を与えてくれているとも考えられます。がんがなかったら人生の進み方がもっと早かったかもしれないのです。そういう意味ではがんに感謝をしておりますし、余命を宣告され夫婦で過ごした期間は、自分たちを成長させる時間であったといえます。
どうしてそんなに若くして?といわれることもありましたが、どうしてかは分かりません。人生の一部だったとしかいいようがありません。私としては、原因追究よりも、いまの気持ちや感謝の念をしっかりと心に刻んでおきたいと思います。
自分が至らないことばかりで、誠にお恥ずかしい話でございました。皆様のご健康を心よりお祈り申し上げます。
平成十八年五月三十日 米津仁志




