もとめられ続ける決断
今年も上田城の千本桜に各地から多くのお客様が集まるのでしょうね。皆様いかがお過ごしでございますか。日ごろは当社をご利用いただきまして、誠にありがとうございます。
さて、先日、谷川連峰の仙ノ倉山で発生した雪山遭難事故が報道されていました。仙ノ倉山と聞いて、私にはすぐにその情景が浮かんできました。というのも、ワンゲル部の山小屋がこの近くにあったために、仙ノ倉山と、その隣の平標山(たいらっぴょうやま)はセットでいやというほど登ったからでした。その勢いで、社会人になりたての頃は、登山を希望する初心者の友達を連れて、これらの山に何度か登りました。夏なら登山口から仙ノ倉山まで八時間くらい、平標山までなら五時間くらいで往復できたと思います。眺望もお花畑も美しく、コースも分かりやすい人気の山なのに、山は時に凶暴になり、手をつけられなくなるのです。このようなニュースを聞くたびに、登山のもつ危険性を再認識いたします。(この山に最後に登ったのは五年ほど前で、その時へとへとになりましたから、いまや私には登山の自信はありません。)
登山では、進むか戻るか、決断が求められますが、仕事や日常生活も、常に決断の連続であるといっても過言ではないでしょう。棋士の羽生善治氏の御著書『決断力』を読みましたら「将棋を指す上で一番の決め手は決断力である。経験を積み重ねていくと、さまざまな角度から判断が出来るようになるが、正しい判断が出来るようになるわけではない。逆に迷ったり、心配したり、怖いという気持ちが働き、思考の迷路にはまってしまう」というようなことが書かれていました。将棋という勝負の世界で頂点に立った羽生氏でさえ、こんなことをおっしゃっているのですから、況んや凡人の私はもっともっと迷うわけです。
スポーツやビジネスで、経験あるベテラン勢を飛び越えて、若い方がいきなりすばらしい成績、業績を出すことがあります。これなどは羽生氏の文脈から考えるに「無」の精神状態から出る決断力ではないでしょうか。その後を見ると、伸びていく人もいれば、そのときだけだった人もいます。次からはいろいろな迷い、プレッシャー、不安などが出てきます。これらに対して、始めと同様に、澄み切った決断をくだせるのか。よく練習し、あるいは研究し、客観的、論理的に条件を整えて、どう考えてもこれで勝てるはずだという状況にまで高めていく。そうなると、あとは決断をするかどうか、もしくは決断が出来るかどうか、だけになります。
羽生氏は続けて「何事も一直線に進むものではない。私は将棋を通して、人間の本質に迫りたい」と書かれています。人間の本質というほどの高邁な見識は私には到底ありませんが、少なくとも「決断」から逃げないことは、自分を成長させることであろうと感じています。
さて、先日、谷川連峰の仙ノ倉山で発生した雪山遭難事故が報道されていました。仙ノ倉山と聞いて、私にはすぐにその情景が浮かんできました。というのも、ワンゲル部の山小屋がこの近くにあったために、仙ノ倉山と、その隣の平標山(たいらっぴょうやま)はセットでいやというほど登ったからでした。その勢いで、社会人になりたての頃は、登山を希望する初心者の友達を連れて、これらの山に何度か登りました。夏なら登山口から仙ノ倉山まで八時間くらい、平標山までなら五時間くらいで往復できたと思います。眺望もお花畑も美しく、コースも分かりやすい人気の山なのに、山は時に凶暴になり、手をつけられなくなるのです。このようなニュースを聞くたびに、登山のもつ危険性を再認識いたします。(この山に最後に登ったのは五年ほど前で、その時へとへとになりましたから、いまや私には登山の自信はありません。)
登山では、進むか戻るか、決断が求められますが、仕事や日常生活も、常に決断の連続であるといっても過言ではないでしょう。棋士の羽生善治氏の御著書『決断力』を読みましたら「将棋を指す上で一番の決め手は決断力である。経験を積み重ねていくと、さまざまな角度から判断が出来るようになるが、正しい判断が出来るようになるわけではない。逆に迷ったり、心配したり、怖いという気持ちが働き、思考の迷路にはまってしまう」というようなことが書かれていました。将棋という勝負の世界で頂点に立った羽生氏でさえ、こんなことをおっしゃっているのですから、況んや凡人の私はもっともっと迷うわけです。
スポーツやビジネスで、経験あるベテラン勢を飛び越えて、若い方がいきなりすばらしい成績、業績を出すことがあります。これなどは羽生氏の文脈から考えるに「無」の精神状態から出る決断力ではないでしょうか。その後を見ると、伸びていく人もいれば、そのときだけだった人もいます。次からはいろいろな迷い、プレッシャー、不安などが出てきます。これらに対して、始めと同様に、澄み切った決断をくだせるのか。よく練習し、あるいは研究し、客観的、論理的に条件を整えて、どう考えてもこれで勝てるはずだという状況にまで高めていく。そうなると、あとは決断をするかどうか、もしくは決断が出来るかどうか、だけになります。
羽生氏は続けて「何事も一直線に進むものではない。私は将棋を通して、人間の本質に迫りたい」と書かれています。人間の本質というほどの高邁な見識は私には到底ありませんが、少なくとも「決断」から逃げないことは、自分を成長させることであろうと感じています。




