上田ささや 社長の日記

長野県上田市の結婚式場ささやが発行している月刊『ささやタイムズ』。社長が書く名物コラムをブログで公開いたします。 また、日ごろ考えていることを不定期に掲載いたします。

人の感覚を養うものとは?

 暖かい日が続いておりましたのに、今日は霙。冴え返ってしまいました。皆様お元気でお過ごしでございましょうか。日ごろは当社をご愛顧くださいまして、誠にありがとうございます。
 さて、LD社の経済事件には、本当に驚きました。私もベストセラーになっていたH元社長の著書を読み、感銘し、友人に読んだほうがいいよと紹介までしてしまっただけに、がっかりいたしました。彼の本質を見抜けなかった自分の力不足を恥じるばかりです。反省を込めて、最近聞いたお二人の先生のご講演で気がついたことをもとにして、この事件をレビューしてみたいと思います。
 一つ目は昨年ロータリークラブで聞いた数学者の藤原正彦氏のご講演です。論理の道筋がどんなに正しくとも、その論理の出発点が間違っていると、まったくおかしな結果が出てくるというお話でした。そしてその出発点を正しくするものは、国語教育や情緒であるということでした。この話を思い出したとき、テレビで見たH元社長のインタビュー場面が、私の脳裏に鮮やかに浮かんできました。
 インタビュアーが、LD社が行ったある経済行為について、脱法的な行為ではなかったかと質問したのですが、それに対してH元社長は「いけないならいけないと法律に書いておいてくださいよ。書いてないなら分かりませんよ」というような答えをされていました。
 その言い分は論理的には正しいのですが、藤原正彦氏の話から考えると、論理の出発点がまったくもっておかしいことが分かります。全ての項目について細かく規定しなくてはいけないということは、法律に書いてないなら、どんなことをしてもいいということでしょうか。つまり、規則に抜けがあるなら、そこを狙って出し抜こうという、そもそもの考え方なのです。まるでお子ちゃまの言いがかりですね。
 もう一つは、日経ベンチャーのオーディオセミナーで聞いた解剖学者の養老猛司氏のお話です。最近年配の方が、自分に経験があるということを若者に対して自信をもって言えなくなっているということでした。今や年齢に関係なく、誰でも何でも出来る時代で、若者もいろいろな経験をしています。しかし、経験とはただ物理的に行った記録ではなくて、経験を積む度に感覚をはたらかせて、違いを感じ取っていくことだそうです。
 勇気があり、かつ優秀な頭脳集団で、経験もあるというLD社幹部でしたけれども、実はペーパー上の概念でしかなかったのではないかと思うのです。感覚を働かせて蓄えてきた経験をもつ年長者がいない。
 感覚がないために、概念に頼り、ペーパー上の判断をする。人間本来の善悪の判断が鈍ってしまったのではないでしょうか。養老氏はものごとを感覚でとらえるということを忘れつつある人間の危うさを指摘されていましたけれども、この事件も概念の話ばかりで、感覚という極めて動物的な温かみがないなと感じた次第です。
 藤原、養老両先生の話は誠にすばらしく感動的だったのですが、私の下手な説明で皆様に誤解されていないか、はなはだ心配です。正しくはご著書をお読みください。
 子供の頃、私の情緒や感覚を養ってくれたものは何だったろうと思い起こしているのですが・・・童話、かくれんぼ、おにごっこ、ガキ大将、けんか、個性的で意地悪な友達、先生の体罰(これは良くないものですね)、木登り、山登り、川遊び、磯遊び、商店街、町の食堂、近所のおじさん、肉屋さん、八百屋さん、お菓子屋さん、豆腐屋さん、調理遊び、雑巾がけ、・・・失われていくものばかりです・・・
   平成十八年二月二十六日 米津仁志